『凍牌』4巻

人もそう言い、自分も何となく『あぶれもん』のフォロワーなのかな、と感じていたが、4巻を読むと、似てるところは勿論あるが、そうでもない。25〜30年くらい前の劇画麻雀を、きちんとした長さと演出でリメイクした作品、と読んだ方がしっくりくる。そしてこの巻で、名作への足場をしっかりと築いている。
麻雀マンガの闘牌には格付けが欠かせない。そして格付けは麻雀の攻防もさることながら、言葉が重要な意味を持つ。結果でねじふせ、言葉で押し込めるのが最上だが、どちらか片方だけの場合も多い。
来賀友志の言葉は、切れ味鋭く相手を両断し、発したものは預言者の風格を帯びる。その背骨として、必ず一つだけアガリの筋道があるような、精密でパズル的な闘牌がある。アガリへの一本道を歩むのは一人だけであり、それが分かるということは未来を掴むのと同義である、という、目もくらむようなロマンチシズムが来賀作品にはあり、だから基本的には陽性であり、二言を要しない。
比べると、『凍牌』の言葉は泥臭く、底なし沼に沈んでいく人間が、お互いを下に押し付けていくような迫力がある。誰もが危うい状況の中で、少しでも相手を凌ごうと、身を削って賭け金を吊り上げていく様子を示すためか、いわゆる「仕上がった」シーンはほとんど見られない。
勝負の前の交渉の描写や、対等の勝負の場に持ち込むための駆け引きなども引き込まれる。2対2の勝負であるにもかかわらず、1人が傍観者的立場に立っている理由も説得力を持っており、最後のヒキも非常に強い。
予告を見る限り次の5巻で終わりのようだが、さてどのような終わり方になるのか。『ホーリーランド』の最終回と同じくらい気になるところである。