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情報発信に使っていたダイアリーを、何故仕事と結びつけなかったのか、と問われれば、答えは「メンドくさかった」になるだろう。当時自分以上にネットの世界を知っている人間は会社にいなかったし、そういう事を扱うような部署にもいた。部署とはいっても名ばかりだったが、ある程度の意見を言える立場にいたのだから、やろうと思えば不可能ではなかったはずだ。その点で、自分は怠け者だと断言できる。臆病だった、という評を加えてもいい。
しかしそれだけでは話が進まないので、幾つか思うところを書いてみる。恐らく話が混線すると思うので、ご寛恕ねがいたい。

そもそも、自分の仕事だった、麻雀店のネットにおける広告の難しさの一つ目は、「悪評をどう捉えるか」という点にある。「悪評は評判のうち」という格言があるが、実社会であればローカルな範囲内に留まる評判が、ネットでは際限なく広がる可能性を持っている。そしてフリー麻雀店は、100%悪意を持たれる業態だ。ゼロ年代半ば頃のネットユーザーが、麻雀店の名前で検索したときに出てくるのが悪評であった場合に、どのような反応を示したのか、当時も分からなかったし、今も分からない。少なくとも担当者の自分にとって、「とりあえず知名度を上げておけばOK」という軽い問題ではなかったのは確かだ。
難しさの二つ目は、お上の介入の程度が読めない、という点だ。お上の介入について自分が知っているのは、「出る釘は打たれる」ということと、「みせしめが目的」という二つくらいだ。
今でこそブログが花盛りで、麻雀店のスタッフブログなど100を超える数がありそうだが、当時定期的に情報発信する麻雀店というのは相当珍しかった。自分が入社した時点で、自前のドメインを持っていた麻雀店というのは、自分の所しかなかったと思う。加えて店舗数が多く、PVも2004年で確か月40,000くらいあった。担当者の感覚としては「板から釘が飛び出ていて、『打ってください』と言わんばかり」だ。
一度介入を招けば、店の営業にかなりの支障を来す。悪評はひょっとして知名度アップに貢献するかもしれないが、営業停止は売上をダウンさせるだけだ。広告を打つことによってそんな事態を招くなら、広告の価値はない。