またトー○サキっぽい話で恐縮だが

未来から照らされないなら、麻雀なんて打ってもつまらないと思う。あくまでも自分の場合。
斎藤茂吉

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ

という歌がある。初めて目にしたのは20年ほど前だが、息ができなくなるような、名状しがたい威圧を感じたのをはっきり覚えている。
この歌が優れているというのは、たとえば第5句に全ての段(アイウエオ)があり、かつそこだけ字余りになっているとか、厳密な意味での区切れがないとか、効果的に「ひ」音を響かせているとか、説明しようと思えばできるかもしれない。誰かしてるかもしれない。
しかし自分が何故そう感じたのか、という理由はどうにも分からない。記憶が定かではないが、自分はその時、これが「死にたまふ母」という、近代短歌の最高峰の一つである一連の最初の歌である、という知識があったのかどうか。あったからどうなのか。なかったらどうなのか。問うことに意味があるのか。
こんなことを麻雀に当てはめようとするから、自分は麻雀が弱い。その辺は居直っている。