『雀狼たちのライセンス五 撃闘編』(構成・作画・武本サブロー《さいとう・プロ》+作・古川凱章、リイド社、昭和61年)


小学館の「ビッグコミックワン」という時代劇中心の雑誌に、みやわき心太郎が「初心」というマンガを載せていて、内容が武本サブローの追悼だった。

麻雀マンガ読みに、みやわき心太郎の言うことを真に受ける習慣は存在しないが、武本氏が亡くなったのは間違いないだろう。
氏はさいとう・たかをの片腕だったらしいが、その辺りはよく知らない。麻雀マンガとしては、古川凱章と組んで、『古川凱章の麻雀放浪記 雀狼たちのライセンス』(全6巻)『麻雀ジョンガラ節』という良作を物している。『ジョンガラ』の、ベタの多い、素晴らしく雰囲気のある作画と、ジョンガラ刀介の旦那芸ぶりは必見なのだが、今回は『ライセンス』の中でも、巻としてのまとまりが優れている5巻を採りあげてみる。
話に入る前に余談。「雀狼」と書いて「ジャンブラー」と読む。特に珍しい読み方ではない。あと、『ライセンス』の出版は昭和60〜62年の間であり、5巻の表紙には「画き下ろし!!(ママ)」という文字もあるのだが、連載が昭和50年ごろに始まっているとの情報もあるので、かなり初期の麻雀マンガということになる。恐らく、1〜3巻くらいは雑誌連載で、それ以降は画き下ろしと推測される。
【追記】情報は『麻雀ジョンガラ節』のものだった。完全な勘違いで、申し訳ない。

あらすじ

主人公の竜門寺竜は、横浜で育ち、次第に野毛(当時の横浜の一大賭場)で頭角を表していく。ヒリヒリするようなホントの勝負を求めて、この巻では、旅に出た岐阜で出会った「一間堀りの黒ベエ」や、中華街で名を売っているチャイニイらと闘う。

上質な娯楽(☆☆☆☆☆☆☆ 10点満点)

複雑な構成を持つ巻である。挿話だけ見ても、

  • 竜と黒ベエの再会⇒玉野の主催する賭場での一幕⇒チャイニイたちとの勝負
  • 竜を育てたサマ師の元締、カマ爺とママとの因縁
  • 黒ベエの渡っている危ない橋
  • 竜の幼馴染との再会⇒リサとの束の間の交歓

と錯綜している。それらを破綻なく1巻の中に収めているのは流石の技量としか言いようがない。不良警官のオリラ、センパイといった脇役にも存在感があり、更にサービスシーンもばっちり入って至れり尽くせりである。
闘牌シーンも、小ネタを混ぜながら、中盤とクライマックスに同じような大ネタを仕込むなど工夫されている。強い者が勝つのではなく、ミスをした者が負ける、という所に力点があり、ドラマとしての喰い足りなさとなっているが、その分を人間ドラマで補い、十分なリアリティがある。

因縁を振り払うことで、イヤミの少なくなった武勇伝

副題の「古川凱章の麻雀放浪記」からも分かるとおり、本作は一応、古川の武勇伝、という体裁を取っている。いくつかの、やや唐突に挟まれるエピソードや、印象的な牌姿は、彼の実体験を元にしていると見ていいだろう。幼馴染のエピソードとかになると、さてどうなのか分からないが。
同様に、実体験を原作にした麻雀プロといえば、まず灘麻太郎の名前が思い浮かぶ。『ダモクレスの剣』『カミソリ雀鬼』『麻太郎デスマッチ』…原作ではないが、伝記ドキュメンタリー仕立てにもかかわらず、いやそれありえないっしょ、っとツッコミが入る『煌々たる雀聖3 灘麻太郎編』なんてのもある。
灘の武勇伝的原作は、基本的にイヤミったらしい。勝っても負けても「何故俺は麻雀の神に愛されてしまったんだー!」みたいな事を叫んだりする。間に挟まれるナレーションは豊富な知識を駆使した解説的なものが多く、しかしキャラクターは自意識過剰気味で、チグハグした読後感となる。
一応フォローしておくと、多分、それは原作が悪いとかではなくて、マンガにする段階でよく練られていないからだと思われる。古川にしても誰にしても、経験談や武勇伝をそのままマンガにしたら、面白くはならないだろう。
で、灘作品と比較して『ライセンス』の優れた点は、因縁を排して、ギャンブルにのめりこむ姿を描いたことにある。象徴的な会話を挙げてみる。主人公・竜とセンパイのもの。

セ「……何を考えてんだお前?」
竜「フゥッ…… そこいらにいる野郎みたいにはなりたくねえってこと!」
セ「だから何になりたくねえって聞いてんだよ?わかるように言え!」
竜「オレはねセンパイ………ただのジャンゴロにはなりたくねえんだよ………」
セ「ハハァ………カマ爺みたいな大物になりてえってことか?」
竜「そうじゃない!オレは………いくらかになりさえすればいいっていう、みみっちい、くいつきみたいにはなりたくない!!」
セ「そうか、そうか!もっとでけえレートで打って、ガバっと稼ぎたいってことか!」
竜「オレはネ………ホントの勝負がしたいんだ!!勝つか負けるか………負ければ二度と立ち上がれなくなるようなそんな勝負がね!!」
竜「オレはネ、打つのは好きだけど………お顧客(とくい)さんばかりいるようなところへ行って集金してくるような、そんなマージャンを毎日毎日打つのは…………」
セ「あきた!………てえのか?」
セ「オーオ ちょいとメが出るとすぐこれだ」


pp.30・31、引用中太字は「・」傍点入り

この会話が、埠頭の屋台で交わされるというのも良いし、徹底した二人の噛み合わなさも良いけれど、眼目は、竜が勝利以上の何かを求めている麻雀打ちであることがハッキリする所にある。人間関係や、金や女のことを忘れて、ただギャンブルに没入することを目的とする。
そんな人間は現実に存在しないがゆえに、フィクションとして成立することになる。旅打ちやゆきずりの体の関係も、物見遊山や快楽を求めたものではなく、純粋であるがゆえの苦悩の裏返しと位置づけられる、ということではなかろうか。




さいとう・プロ作品はどれも似たような感じで、傑作というほどの麻雀マンガ作品はないが、神田たけ志や神江里見など、出身の麻雀マンガ家は多い。よく知らない人ではあるが、とりあえずこんな感じで追悼してみた。合掌。