捨牌は多少は散らかってた方がいい。

初めて、「A-ZERO」という雑誌を手にとって読んだ。
7月くらいの創刊で、「雀鳳」という作品が掲載されているのは知っていたが、地元では見かけたことがなかった。イッキみたいな平綴じかと思ってたら、普通の中綴じだった。
A-ZERO
んで、「雀鳳」第4話。絵は本そういちのアシスタント、いとうまさき。原作は灘麻太郎。あらすじは↓
株式会社双葉社 | A-ZERO | あらすじ | 雀凰
ネット上では、好評も不評も博していない。要するにその程度の作品だ。まあキンマ以外の雑誌に連載された麻雀マンガって、ほとんど話題に上らないけれど、先月終わった『ギアな風牌』の方が面白い。
どっちも作画がちょっとイケてない。萩原玲二が描けば、もっと魅力的になるかもしれない。好き勝手にアレンジ加えてくれそうだし。嶺岸信明が描けば、4話分は2話くらいにまとまりそうだ。
闘牌も特に目新しいことはなく、古い麻雀戦術書に新しい萌え系のカバーをかけて売ったらどうなるか、試してみましたという感じ。習作なのかも。


…話が早く終わってしまったので、たった今思いついたことを記すと、捨て牌はもう少し乱雑な方がいい。丁寧に牌の模様を手描きしているのだが、かえってリアリティを欠く。特に今回のように、「ネットとリアルの違い」が主題であるなら。
画像がないと分かりづらいが、ほぼ全ての人気麻雀マンガ作家は、多少乱雑に並べられた捨牌を描くし、必要に応じて影をつける。
かわぐちかいじは、たとえば『はっぽうやぶれ』の初期は捨牌をほとんど描写しないが、本格闘牌を描くようになってからはそのようになっている(はず)だし、嶺岸は言うまでもない。『てっぺん』の誠なんかは、捨牌を必ず対戦者に向けて並べるようにしているが、もちろんブロックみたいに綺麗に並んでいるわけではない。
伊藤誠とか柳澤一明とか、フォントのような牌を描く人たちはどうだか分からないが、たとえば伊藤誠は、たびたび牌の上下を逆さまに描く。手描きだったらNG(編集部的に)なのではないか、と思うが、配牌を取ったとき上下が全て揃っているのはありえない話なので、リアリティというものを考えたらそうなった、と見て間違いなかろう。
麻雀みたいなテーブルゲームを楽しく見せるのは大変だ。