「ギャンブルパンチ」「漫画タウン」の元編集者の話

MiChao!」という、講談社WEBコミックサイトに連載されている『マイダスの薔薇』(画・金井たつお)の原作者、宮崎信二へのインタビュー。編集者として麻雀マンガを多く担当したそうで、とても面白く、かつ貴重な話が載っている。

宮崎氏が編集に携わった麻雀マンガ雑誌は、竹書房の「ギャンブルパンチ」と、徳間書店の「漫画タウン」だという。どちらも昭和50年代のはじめにあった麻雀マンガ専門誌である。
「ギャンパン」については、今も竹書房が「近代麻雀」を発行している関係で、麻雀博物館に所蔵されているはずだが、「漫画タウン」は現物を見ることも、当時の話を聞くことも困難だ。とにかく貴重なので、怒られない範囲で麻雀マンガの話を引用してみたい。

超能力マンガ

宮崎 そうなんですよ。だから編集者に「僕は福本伸行さんの『アカギ』のような麻雀マンガは書けません」と最初に断っておいた。以前麻雀マンガの編集者だったときも、麻雀をやっていると、そこが封じられた力場になって雀士が超能力を発動する、とか、むちゃくちゃなことばかりやってたぐらいですから。麻雀というゲームそのものを真剣に見つめていくということよりも、ゲームに翻弄される人生に興味があって、そちらなら書けます、と。


「Part.1」より引用

「雀士が超能力を発動する」のが何という作品なのかは分からない。『麻雀鳳凰城』は単行本はグリーンアローから出ていたが、実は連載は「漫画タウン」だったとか?
あと、知人が長年探している「犬が麻雀を打つ」という作品も、たしか「漫画タウン」に載っていたはずだ。その辺りは氏に聞けば判明するのかもしれない。

やっぱり『麻雀放浪記』なのか。

――宮崎さんは昔からギャンブルはされていなかったんですか?
宮崎 いや、昔はやりましたよ。一番やっていたのは、北野英明さんの原稿取りをしていたときですね。北野さんは虫プロダクション出身で、「どろろ」というアニメの作画監督をしていた方。当時北野さんの『麻雀放浪記』(原作・阿佐田哲也)というマンガが一世を風靡(ふうび)したんですよ。それで麻雀劇画というジャンルが確立した。そのときに僕も麻雀マンガの編集者をやっていたんです。それで各社の編集者が北野さんの仕事場に集まって原稿を待つ間、やることがないから麻雀をやるんです。麻雀、トランプ、花札。いや、えらい巻き上げられました。
――(笑)それは他の編集者さんがとても強かったんですか?
宮崎 いや、僕が弱かった(笑)。
――何年前のことですか?
宮崎 僕がこの世界に入ったころだから、30年ぐらい前ですね。竹書房の編集者だったんですよ。そこから徳間書店ワニブックスエニックスと、17年ぐらい編集畑を渡り歩きました。何冊か創刊誌も出しましたし、いまだにお付き合いのあるマンガ家さんもいます。


「Part.2」より引用

北野英明の『麻雀放浪記』は双葉社から単行本が3巻出ている。原作に忠実な作品で、突き抜けて面白いとは思わなかったが、やっぱり人気あったのか。コミック版『牌の魔術師』(秋田書店・昭和50年)の帯で、北野は「この作品によって麻雀劇画というジャンルが始まった」という意味のことを書いていたから、既にある程度の盛り上がりはあったのだろう。

20万部!

――竹書房に入社されて、最初に手がけたのはなんですか?
宮崎 隔週の『ギャンブルパンチ』という雑誌ですね。今『マイダスの薔薇』をやっていることを考えると運命的ですけど、麻雀マンガを中心としたコミックで、北野英明さんの作品が掲載されていると本が売れるという時代で、それこそ20万部近く売っていた。でもじきに他社も同じような雑誌を出すようになり、もともとパイはそんなにないですから、それぞれの部数が落ちていったんですけど。
――30年ほど前の話ですね。
宮崎 そうですね。5年くらいは麻雀マンガブームでしたね。2つ節目があって、われわれがやっていた北野さんを中心としていたころが1つ目。それから僕が竹書房を辞めたあと、かわぐちかいじさんが麻雀マンガを描くようになる、それが2つ目。


「Part.3」より引用

北野が描くだけで20万部近くとは、凄い数字である。今のキンマとオリジナル合わせて、何部くらいだろうか…
ところで人づてに聞いた話では、ある時、竹と北野がケンカして、北野の作品が竹の雑誌に載らなくなった。それで新しい方向性を模索したのが、現在の「キンマ」に繋がっているとか。勇気あるなぁ、竹の中の人。

原作付だった。

――北野さんは原作なしにご自分で描かれていたんですか?
宮崎 実は、それが僕が原作者になるきっかけにもなるんですが、オリジナルでは描かれていなかったんですよ。最初はあるプロ雀士の方が原作を書いていた。牌譜がプロだと説得力がありますからね。ところが牌譜はいいんですが、ストーリーに面白みがない。それで北野さんに「宮崎さん、なんとかしてください」と言われて、リライトを始めるんです。牌譜だけ切り取って、自分がストーリーを組み立てる。その時代が何年か続いたんですね。


「Part.3」より引用

北野英明の作品も原作がついていたのか。当時の竹の単行本のクレジットでいうと、板坂康弘・須賀五郎・梶川良…。梶川は判然としないが、板坂と須賀は編集者。この頃から「闘牌原作、あるいは監修」「物語を考える原作者・編集者」「作画者」という分業が存在していたことが分かる。上記の通り、実情に即していたのだろう。

ということで、麻雀マンガ読みとしては涎を垂らさんばかりの内容であった。マンガ史的にも、貴重な証言が多いようだ。