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麻雀業界を離れてから、麻雀を打つ機会は極端に少なくなった。忙しいとか、仕事でやってたから趣味にまで持ち込みたくないとか、理由は色々あるが、大きいのは、巷間広く行われているルールを楽しむことができないからだ。
今自分が卓を囲むとすれば、中国麻将という、全く別のルールだ。完璧なルールだとは思わないが、少なくとも努力や練習の分だけ強くなる。それが仮に錯覚だとしても、そう信じて練習することが困難ではない。それが楽しい、というと言い過ぎだが、喜びを感じる。
比べて現行ルールだと、どうしてもルールを覚えてから先、上に上がるための階梯が曖昧な気がしてならない。どんどん射幸性の高いオプションは加わるのに、肝心の所は保守的で、融通が利かない。あと「現行ルールをして、洗練されていて動かしがたい物である」と大真面目に言う人がいて、これまた楽しくない。

しかしこれらの言葉は、他のルールが楽しい、という発見の後にしかやってこない。そのルールでやっている限り、その中で強くなる・巧くなることを目指すのが本道であり、ルールを相対化するような視点は、逆に上達の妨げになることが多い。
実際、現行ルールで強い人はたくさんいる。自分より強い人の強さは測れないが、恐らくレベルというものは存在するのだろう。自分は現行ルールで「麻雀のレベルが上がった」という現象は起こらないような気がしているが、それは勿論、井の中の蛙が大海を知らない様なものである。

だいたい同じようなことが、麻雀業界についての自分の悩みだった。現状を変えていくとして、内側から改革するのか、それとも外からやってみるのか。
外からやってみる、といっても、所詮自分は金魚鉢の中の金魚だ。金魚が水から出て、金魚鉢を変えることなどありえない。金魚鉢を中から壊せば、自分が絶息するだけの話だ。壊せるはずもないが。

業界にいて情報を発信しつづけた間、ずっと心に刻んでいたのは「業界のためにならないことはしない」ではない。「自分のやる事は、全て業界のために繋がる」だ。この間抜けな、破綻することが目に見えている幻想が崩れた時、業界を離れるのは当然のことだが、しかし今思うに、その幻想のあり方は、奇妙に現行ルールと合致するような気がする。



たぶん続くと思う。